真っ赤なトマトの気持ち

誰かに聞いてほしい気持ちを綴る

日本では男女平等への取り組み方が歪んできてる!?!?

世の中は本当に男女平等社会へ近づいている?

世間で男女平等が話題になり始めたのはずいぶん前ですよね。

皆さんは今、男女平等社会に正しく近づいていると思いますか?

私は思いません。

とてもねじ曲がった方向へ進んでいると感じています。

 

確かに昔は男女で求められていることが違った。

『仕事をするのは男性』で、『家事育児は女性』のように当たり前に分かれていて、逆をすると物珍しそうに見られるような時代が確かにあった。

家事育児がしたい男性も、仕事をしたい女性も、世間の目を気にするあまり我慢して型にはまった生活をする・・・。

私は誰でも好きなことをすれば良いし、誰にも否定する権利はないと思う。

だから男女平等になるのは大賛成です。

マタハラやセクハラなど問題となることが増えたり、事案が減ったりすることはすごく良いことです。

ただ今は平等から少し外れてきている気もするのです。

 

守られるべきなのは女性だけ??

働きたいという女性の声は大きかったでしょう。

それと同時に、団塊世代の高齢化や1,57ショックなど止まらない少子化、政治の観点から見ても若い働き手を増やしたかった。

だからだろうか・・・働く女性が大きく取り上げられました。

そのあとは、私たちの日常生活でも女性をピックアップするものは多い。

  • レディースディ
  • 女性専用車両
  • 女性専用トイレ(他は共有トイレ)
  • ○○女(という呼び方)

他にも沢山あると思います。

 

政治の世界でも女性政治家をピックアップ

  • 今回の比例代表名簿の1位には女性の名前が上がった
  • 内閣国務大臣に女性が入った
  • 政治家に女性を増やす

など、なにかと女性を強調しているように聞こえる。

 

男性をピックアップするものは見当たらない!?!?

皆さんは男性をメインに考えてると感じるものが思いつきますか?

私はありません。

ですが、男女平等社会を目指すならあってもよいと思うんです。

男性だって曜日によってはお得に買い物や食事、映画鑑賞をしたくないですか?

女性が苦手な人や、チカンと間違われたくない人が選べる電車の車両があるのは実用的じゃないですか?

とか思ってしまいます。

男性の育児休暇だって、日本ではあまり普及していない。

子供の成長は早いのに、自分の大事な子供と短い大切な時間を過ごしたいのは、お母さんもお父さんも同じですよね。

 

仕事に関してはもっと冷静に考えるべき!!??

皆の利益が増えるだけの男女平等施策ならいくらでもやってみれば良いと思います。

ですが仕事に関してだけは話が違う!!

【女性の雇用を増やしましょう】という言葉を何度も耳にします。

そして女性雇用率が高いほど善という見方もありますが、本当に善ですか?

【女性が働くのはおかしい】という考え方を止めましょうって話じゃなかったんですかね・・・??

実際の雇用は【仕事ができる人】が必要なんですから、女性の雇用率が増えたことではなく、女性に向いてる仕事内容だったり、こんなに有能な女性社員がいる(育つ)ことを周知して、結果【女性も働きやすい社会】ができるのが自然じゃないのかなって思う。

 

政治家が女性であることをアピールする必要が分からない

私としては、政治家には国民を代表して、より良い日本社会を作るために立法・行政を運営してもらいたいものです。

しっかりとした政策を基に誠実に取り組んでくれる人に任せたい。

私が知りたいのは、

  • どういう人物なのか
  • どのような経緯で政治家を志したのか
  • どのような政策を掲げているのか
  • どのように取り組むのか

そういったことを教えてほしい。

女性か男性かなんてどうでもいいんです。

【○○党からは女性候補者が出馬】ではなく、【○○党からは△△という政策を掲げた候補者が出馬】というのべきではないでしょうか?

政策内容が女性の為のものだから、候補者が女性ということが初めてアピールになるかなと思います。

 

できる限りの公平であってほしい

性別ではっきりと違うものはある。

同じ鍛え方をすれば女性はどうしたって男性に勝てないし、男性はどうしても子供を産めない。

生物学的に平等でないことは沢山あると思うし、仕方がないところです。

だからこそ公平にあってほしい。

権利も義務も、チャンスもすべてが同じ割合であることが男女平等である。

昔は女性は弱く、我慢を強いられ、声を上げれなかった。

今はとても大きな声で叫べるし、皆が耳を傾けてくれる。

腫れ物のように与えなくても自力でなんとかできるようになった。

今度は男性が不利にならないように、本当の男女平等社会の実現を願う。

真っ赤なトマト

 

大嫌いだった父親が【大好き】に変わる!!

数年前まで大嫌いだった父

私の父はアルコール依存症だったと思う。

病院が嫌いで、父自身も否定していたから医師に診断された訳ではない。

だが、毎日甁ビールを10本ほど飲んでは怒鳴り、記憶を無くしていた。

怒りの矛先はいつも母と兄であり、私が怒鳴られたことは一度もない。

私が悪いことをしても、怒鳴られるのは母と兄だった。

そんな父は恐いと思うより、うざくて大嫌いだった。

 

孤立する父

そんな父はいつも家族の中で孤立していた。

酔っていない時はとても優しいく穏やかな性格をしている。

そのギャップが大きすぎて幼い私はさらに嫌いが増していく。

毎日怒鳴られている母や兄ももちろん嫌っていた。

今思えば、孤独を感じていたはずの父はとても可哀想だ。

 

数年前、脳梗塞ICU

毎日のアルコールに偏食、怒鳴りつづけていた生活習慣が悪かったのだろう。

意識不明、、、2・3日が峠だと告げられる程の重体だった。

このときは、なんとか意識を取り戻し退院できた。

しかし、足が不自由になり長く続けた仕事を辞めることとなる。

 

働くことが大好きだった父

定年を過ぎても働いていて、さらに働きたいと意気込んでいた。

退院後もリハビリをして必ず職場復帰すると言いつづけていたのを覚えている。

しかし足が治らず、会社へ迷惑がかかるからと退職した父は日に日に気力が失われていく。

生き甲斐を失い、その後さらに2度の脳梗塞を起こした。

現在は車椅子生活をしている。

 

今では必死に家庭を守ってくれていたと感じる

社会人となり自立すると仕事の大変さや生活費の工面、自分の時間を作る難しさを感じるようになった。

私の父はエリートではなく、土方仕事などの体力仕事で稼いでくれていた。

母が病気がちで私が生まれてから高校を卒業するまで3年に1度、1年程入院する。

小さな子供2人に入院する母、その上体力仕事、、、私なら途中で音を上げるだろう。

 

子供は苦労を感じなかった

学校生活やお小遣い、オモチャに食事、何不自由なく当たり前のように過ごしていた。

だが今思えば、高給取りでもなく貯金もない父に金銭的な余裕など全く無い、毎月赤字が増える一方なのが目に見えるくらいだ。

子供にはお金がかかるし、入院費だって高額に違いないのにきっと無理しながら工面し、心身共に疲れ果てていたはず。

今思えばお酒に逃げたくなっても仕方ないのに、幼い私には酔って怒鳴る嫌いな父としか映らなかった。

 

実はエビフライと甘いものがスキ

私が幼い頃、よくエビフライがでてきた。

お菓子も必ずあった。

エビフライもお菓子も子供ならみんな好きだと思う。

そして父もエビフライと甘いものが好きだ。

だけど私たち家族は30年以上誰も知らず、子供が独立して初めて知る。

父は今でも何も言わないが、子供に食べさせたかったのだろう。

私は父をちゃんと見ずに、酷い態度を取り続けていた。

 

親孝行をしたい

何十年も頑張り続けた父は仕事を終えた今、本当なら楽しく生活できているべきだと思う。

それが現実では、車椅子となり介護を必要とし、遊びに行くこともない。

私は今、自分の生活で手一杯で全く親孝行ができていない。

将来のことを考えずスキ放題生きてきた結果である。

早く自立して安定した生活を送り、親孝行ができるようになりたい。

それまでまだ時間がかかる・・・勝手だがそれまで父には頑張っていて欲しい。

 

親を嫌いな人はもう1度思い返してみてほしい

各家庭にそれぞれ事情がある。

いくら考えても酷い親で大嫌いな人もいるし、

「親を好きになれ」

「親を大切にしろ」

などは決して思ってない。

ただ、今までを思い返せば私のように当時は見えていなかった部分がある人もいるのではないか?と思う。

親は一番身近で鬱陶しく思うことも多いし、気を遣わずに自分のワガママや暴言を言いやすいし、誰よりキツく当たってしまう存在になりやすい。

それに子供は親の気持ちが分からないし、親が今までの人生の経験を基に叱る注意も理解できずストレスに感じる。

苦労も見えないからどれだけ大切にしてもらっているかも分からないし、分かろうともしない。

私はそうだった。

 

「ありがとう」と「ごめんなさい」

私はとてもワガママな性格に育っている。

家族内で私に怒る人もいなければ、欲しいものを我慢することもなかった。

父が子供に分からないところで苦労を重ね、子供に不自由な思いをさせないように友達と同じものを与えてくれた。

今の私が父に対して思う気持ち、

今までキツく当たってごめんなさい。

ずっと大切に育ててくれてありがとう。

自分の親を好きでも、嫌いでも、心の底から思うのであれば構わない。

ただ、私のように“あのとき、ああすればよかった”と感じることが、少しでもなくなってほしい。

後悔先に立たず、、、これを読んて下さった皆さんが、自分の親に対して後悔せずに済みますように。。。

真っ赤なトマト

 

 

「親ガチャ」のアタリやハズレ

親ガチャ・・・

 

最近話題になっていますが、皆さんは自分がアタリかハズレかどちらだと思いますか?

私はどちらかと言うと<アタリ>だと思っています。

世間一般に【可哀想】と言われるような子供時代ではありませんでした。

そんな私は普通アタリというでしょう。

ですが、私自身が本当に<アタリ>だと思う理由は、【親ガチャ】という考え方を無意味だと感じれるからです。

 

親ガチャと言う考え方をどうとらえますか?

家庭環境はみんな違うし、幸せの形だってみんな違う。

誰もが不幸だと思う子供は幸せを感じていたり、誰もが幸せだと思う子供は不幸に感じていることもある。

親ガチャのアタリとハズレにはボーダーラインがない、ハズレだと思っていた子供は考え方ひとつでアタリの人生を歩めると思うんです。

 

貧乏な家庭に生まれたからハズレだ!

確かにそう思ってしまいやすいかもしれないけど、自分の頑張り次第で裕福になることはできる。

そして貧乏がアタリかハズレかを「欲しいものを手に入れる」ということで考えてみる。

生まれたときから当たり前に与えられている子供と、努力して自分の力で手に入れた子供とを比べると同じ物を手に入れたときの幸福感は後者の方がはるかに高いと思う。

より幸福感が高くなる方がアタリだという考え方もできるのではないだろうか?

 

考え方次第でみんながアタリになれる!!

歳をとるにつれて幸せを掴み取った人はアタリの人生であり、幸せのために努力ができる人間である。

そして努力する才能がある人間に産んでくれた親ガチャはアタリである。

綺麗事だという人もいるだろう。

現実には、親が原因で生涯を全うできずに亡くなってしまった子供がいる。

世間の話題など耳にも入らず、今日を生きることに必死な子供がいる。

けれど今の私には、少なくとも<親ガチャ>という話題に思考を巡らせることができる程度には心の余裕がある。

そしてどうせ考えるならポジティブでいたい。

これからの自分の選択と努力次第でいくらでも幸せになれる。

この先が幸せであろうが不幸だろうが、誰のせいでも、何のせいでもなく自分で決めて進んだ結果に違いない。

 

『親ガチャ問題に正解はない』

正確のないもので、ネガティブになるなんて無意味だ。

ならばハズレだと親を恨んだりネガティブに考えず、アタリだと親に感謝したりポジティブに考えるだけで自分自身が幸せへ近づく。

そんなポジティブ思考の自分にしてくれた私の親ガチャはアタリである。

【やればできる】頑張れば願いは叶う!!

「やればできる子なんです」

小さい頃によく言われた言葉。

皆さんも、親・先生から言われたことはありませんか?

言われたときにどう思いましたか?

私は、こう思いました。

「何、当たり前なこと言ってるの?」

「そりゃ、やればできるよ!」

 

大人になった今でも同じように思う。

誰でも頑張れば大抵のことは成し遂げられる。

例えば、

  • スポーツ選手になりたい
  • お金持ちになりたい
  • 社長になりたい

それぞれに夢は違う。

前向きに取り組める人はとても素敵だ。

尊敬する。

けれど、「才能がない」などネガティブに考えて挑戦しない人も多いだろう。

私自身、自分に自信がなくて挑戦さえしなかった。

そして後になって後悔するのだ。だから伝えたい。

 

今やりたいことがあるなら挑戦してみよう!!

 

“自分には無理だ” と決めつけるのはもったいない。

多くの人がもつ夢には、実際に叶えている人がいる。

世界一を目指すのではない。

何万人もの先輩がいるのだ。

今はインターネットを使えば沢山の情報も気軽に手に入る。

どんなことでも、誰でも、1人でも、始められる世の中になってきた。

やらずの後悔よりも、やった後悔の方がスッキリした気持ちで先へ進める。

当たり前だが、人生は一度きり。なら後悔のないように生きていきたい。

 

今、自分の夢を追うか迷っている人はいるだろうか?

いるなら是非追いかけてほしい。

  • 時間がない
  • お金がない
  • 反対されている

いろんな理由をつけて諦めるのは簡単だ。

けれど何かのせいにして諦めるのなら、必ず後悔するだろう。

  • 時間を作る努力はしたのか?
  • お金を作る方法は本当になかったのか?
  • しっかりと思いをぶつけて説得したのか?

諦めるなら、誰にも何にも左右されずに自分自身の意思のみで決めてほしい。

悔いが残らないように、できるなら挑戦してほしい。

今一番やりたいことを頑張ることが、今一番楽しく過ごせる方法でもある。

私もこれからは、やりたい事ができたときは挑戦していこう。

“やればできる”

単純な言葉だけど、実践するのは難しい。

私の好きな言葉のひとつである。