「親ガチャ」のアタリやハズレ
親ガチャ・・・
最近話題になっていますが、皆さんは自分がアタリかハズレかどちらだと思いますか?
私はどちらかと言うと<アタリ>だと思っています。
世間一般に【可哀想】と言われるような子供時代ではありませんでした。
そんな私は普通アタリというでしょう。
ですが、私自身が本当に<アタリ>だと思う理由は、【親ガチャ】という考え方を無意味だと感じれるからです。
親ガチャと言う考え方をどうとらえますか?
家庭環境はみんな違うし、幸せの形だってみんな違う。
誰もが不幸だと思う子供は幸せを感じていたり、誰もが幸せだと思う子供は不幸に感じていることもある。
親ガチャのアタリとハズレにはボーダーラインがない、ハズレだと思っていた子供は考え方ひとつでアタリの人生を歩めると思うんです。
貧乏な家庭に生まれたからハズレだ!
確かにそう思ってしまいやすいかもしれないけど、自分の頑張り次第で裕福になることはできる。
そして貧乏がアタリかハズレかを「欲しいものを手に入れる」ということで考えてみる。
生まれたときから当たり前に与えられている子供と、努力して自分の力で手に入れた子供とを比べると同じ物を手に入れたときの幸福感は後者の方がはるかに高いと思う。
より幸福感が高くなる方がアタリだという考え方もできるのではないだろうか?
考え方次第でみんながアタリになれる!!
歳をとるにつれて幸せを掴み取った人はアタリの人生であり、幸せのために努力ができる人間である。
そして努力する才能がある人間に産んでくれた親ガチャはアタリである。
綺麗事だという人もいるだろう。
現実には、親が原因で生涯を全うできずに亡くなってしまった子供がいる。
世間の話題など耳にも入らず、今日を生きることに必死な子供がいる。
けれど今の私には、少なくとも<親ガチャ>という話題に思考を巡らせることができる程度には心の余裕がある。
そしてどうせ考えるならポジティブでいたい。
これからの自分の選択と努力次第でいくらでも幸せになれる。
この先が幸せであろうが不幸だろうが、誰のせいでも、何のせいでもなく自分で決めて進んだ結果に違いない。
『親ガチャ問題に正解はない』
正確のないもので、ネガティブになるなんて無意味だ。
ならばハズレだと親を恨んだりネガティブに考えず、アタリだと親に感謝したりポジティブに考えるだけで自分自身が幸せへ近づく。
そんなポジティブ思考の自分にしてくれた私の親ガチャはアタリである。